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2011年3月11日。ボクは仕事を終えたら3月恒例の九州への旅に出る予定だった。11日夜に東京を出て21日に帰ってくる予定だった。2006年から5年連続で、1,000Kmを夜通し走って九州へ行っている。一年のグランドツーリングの始まりのイベントだ。
仕事は順調てきぱきと、14時にはほとんどの仕事が終わったように思っていた...
誰も知らなかった14時46分その地震は突然やってきて、日本を悲しみに沈めた...
ボクの居たビルの30Fは折れるんじゃないかと思うくらい半端無く揺れた。
不謹慎な話だが、ゆれている間ボクが考えていたのは、「これじゃぁ旅になんて行けないかも...」と言うのんきなものだった。ゆれている中ボクはずっと立っていた。と言うか、フロアを歩きまわっていた。
揺れがおさまるとビル内は停電していた。窓から富士山を見た。まさか噴火なんかしてないよな?なんてさらに冗談じゃないことを考えていた。遠くに煙が見えている。お台場方面が激しく煙を出して燃えていた...現実はただごとじゃなかった。
エレベーターは止まっていたので、ボクは30Fから非常階段で1Fまで降りて、違うビルの12Fにあるボクのオフィスへ走って戻る。部下の安否を確認し、 外出している部下へ連絡をとろうと試みる。徒歩で帰宅できる者は帰宅させ、帰宅できない遠方の者は会社で泊まれるよう寝袋と水と食料が配給されるよう手配 する。徒歩で帰れるボクは夜に会社を追い出された...
いつも歩く幹線道路にはクルマが溢れ、そしていつもは人もまばらな歩道にぎっしり人が歩いていた...
大変なことになったな。ボクはケータイのワンセグを見ながら河川敷を歩いていた。ワンセグってこういう時に役に立つモノなんだ...
そんな場合じゃないのはわかっているんだけど、「ハァー」というため息と、「生月島へ走りに行きたかったなぁ...」という脳内のアホな考えが無意識に口から出る。
でも、家に帰ってTVを見ると、その日は言葉が出なかった。
ある種の絶望感のなか、準備してあった九州の旅の荷物を片付けたのだった...

不謹慎きまわりないが、2010年度の有給は余りまくり、そして九州の旅は消えた。新たに発生した業務もあって3月は忙しかった...
先行きの不安を感じながらも、あほなボクは生月島へ走りに行きたいと今も思う...

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